写真=映画「ファイ」公式ポスター
映画「ファイ」が盛り込んでいる暴力に対する問い掛け
息を殺したままスピーディーに展開される映画に全身が固まって動けない。退屈さを感じる間もなく流れた126分は、感情が込み上げたり、ジャンプしたりする映画の流れでかなりの時間を経験した感じだった。映画に対する反応は、ほとんどがヨ・ジングへの賞賛と、映画のテーマの曖昧さを指摘する吐露、つまり、映画がぎこちないだとか、色々と盛り込みすぎとの意見に分けられるだろう。
前者はヨ・ジングという俳優に全ての功を捧げると同時に、ヨ・ジングが演じたファイという役に映画の重みが集中していることを物語っている。後者は映画の構造的欠点を指摘する前に、映画のテーマがそれほど簡単ではないという点から、映画を分析する必要があることを意味する。この二つの反応は「ファイ:怪物を飲み込んだ子」(以下「ファイ」)で始まり「ファイ」で終わる。
暴力の残酷な描写…韓国映画はそれしかできないのか?
いかなる罪悪感もなく、罪を犯す人間の典型は、韓国映画がまるで世紀末の兆しを再現するかのように、20世紀後半に入ってから過度に登場したと思われる。映画「悪魔を見た」もそうで、「哀しき獣」では犬の骨で人間の肉を切り裂く、無残な殺戮のシーンが永遠と続いた。「アジョシ」では敵を無残に殺すシーンが正義のアクションへと昇華し、極度の快感を与えた。
このような映画の中の残酷さは、刺激に鈍くなった私たちの感覚を試し、アクションの快感としてそれを受け入れるのか、否定するのかに仕向けていたと思われる。「悪魔を見た」はただ、その残酷さで酷評を受ける方だった。
そうなると残酷さ、残忍さの意味はなくなってしまう。監督が暴力を通じて私たちの社会をどう解釈しているかに対する質問は、そのイメージの向こうに消えてしまうことになる。映画「ファイ」の副題「怪物を飲み込んだ子」は、妙なことに“映画的怪物”という前例を飲み込んだメタ的アレゴリーとして自然に読まれる面がある。
「ファイ」のいくつかのシーンは恐ろしい。青少年のヨ・ジングという俳優がその恐ろしさを中和する側面はあるが、この映画の中の死は「怪物映画」が取り扱っているように、刹那的かつ機械的で、非人間的に来る。アクションシーンは緻密で、これもまたある種の快感を与えてくれる。しかし「ファイ」が暴力の美学化ではなく、暴力に対する探求と発明の地点からスタートするのであれば、前述した特徴が否定的なだけではない。
“昼の鬼”と呼ばれる稀代の犯罪者組織により拉致された子が、彼らの手で育てられ、その後5人の父と息子の関係に再定義される。そしてその子は、産みの親の存在を前にし、アイデンティティの混乱を経験する。子供はすぐに自身を怪物として育てようとした“昼の鬼”に復讐する。これが「ファイ」の基本構成だ。
暴力を違う角度から見てみる…「ファイ」にそのヒントがある
「ファイ」は、その怪物という子が飲み込んだ何か、つまり外部的存在に対する探求であると同時に、その怪物がどこから現れるのか、何故現れるしかなかったのかに対する問い掛けがある。おそらく「ファイ」は前述した怪物のような映画の系譜と、現代社会に蔓延している暴力に対する問い掛けと同時に、人間の本性に対する省察という3つの地点と相まっていると言えるだろう。
ここが「ファイ」が曖昧だと捉えられる部分だ。「ファイ」は暴力と自分の外にある怪物たちの何かという点から逃れ、以前から自身と変わらないその何かという点を前提とする。ニーチェが残した「怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ」との言葉は「ファイ」の命題と言える。
「ファイ」のヨ・ジングが強調されることは、元々怪物だった5人の父の中から誕生し、その後彼らに勝ち、自身の中の怪物に直面する存在であるためだ。つまり、ヨ・ジングは残酷な暴力集団に立ち向かえるアクションを演じなければならず、怪物と決して混ざることのできなかった子供から、怪物になって行く自分を目撃する大きなギャップを行き来するしかなかった。もちろん、ヨ・ジングはそれを成し遂げた。
ファイというキャラクターは、その暴力を極限に引き出すと誤解されていた韓国映画の暴力の系譜から、暴力が求める方式を逆に追っていこうとした。母ではなく、父だけが大勢いるファイの状況と、彼を怪物にしようとする怪物の父たちの存在は、独特な過剰設定だ。これは韓国映画の父に対する規定の側面でもう一つの質問を生み出す。「ファイ」を見てから残る“曖昧さ”は、長い時間をかけてでも解決しなければならない問題だと思われる。
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